sigotosikayarukotoganaiえらい寒くなりました。文句言いながらも現職を続けて2017年12月1日にめでたく2年がたちました。分かりやすいが乱暴に言えばITドカタと呼ばれる業界に入って案件のヒエラルキーの無慈悲さを痛感しながらも、それでもしょうがないと頑張る人たちに心を打たれながら「じゃあ俺も」と頑張れない自分に挫折して、とある思いを伝えたのが去年の11月でした。好きにやってみろよと言われて、紆余曲折頑張ってまた今年11月にまた燃え尽きて開き直って、無事職を維持しながら12月を迎えて1月も迎えられそうな感じです。思えばこの2年間は自分の人生を振り返ってかなり真面目に仕事に向き合ったと思います。ここまでやってこれたのは、疑いもせず容赦無く期待をかける会社の人たちと、疑いもせず憧れを抱く人たちがいたから、こんなクズでもやってこれました。ここまでで学べたことがあるので、なるべくポジティブに書いていきたいと思います。

話を隅々まで聞くようにする

当たり前なんですが、依頼には大雑把二つの種類の依頼があると思っています。依頼内容が決まっているケースと決まっていないケース。決まっているケースは、依頼者が依頼内容を明確にイメージできているので、送信側と受信側で大した労力が必要ないのですが、依頼内容が決まっていないケースはやっかいで、ゴールの設定を双方でやっていかないといけません。こうなった時に、想像で仕事をやると、作業量がアホほど増えるので、嫌な顔されても自分の中にイメージが持てるまで、依頼内容が決まっていないケースは話を聞くようになりました。

誰も悟ってはくれない

さっきの話とは逆の話で、自分の言いたいことを勝手に補完してくれません。同じプロジェクトに長いこと一緒に関わっていれば、そうでもないし、成果物を見せながら作業ができるような要件が複雑でない案件なら、補完もしてくれると思います。文化や現物があれば、人はイメージできるからです。なまこがうまいと知らない人にうまいと説明するのは困難なように、システムのこうしますとかこうしたいとか、活動方針をこうします、こうしたいを伝えるのは、難しい話だということを割と最近知りました。普通の社会人をやってれば、きっととっくの昔に身についてるようなことだと思います。

目的だけを考えながら話をする

人の心情を考慮しながら会話をする癖がありました。要するに、こういったら怒られるとか嫌われるとか考えながら会話をしていたということですが、余裕のない状況でそれをやると時間のロスなので、決めなきゃいけないことがあって、相手が同じ目標に向かってるなら、伝えなければいけないことをただ伝えれば良いのだということを知りました。その場でうざがられようが、怒られようが、諸々終われば良い酒のつまみになるということを知りました。

常識は個人の中にしかないのだということ

今までのやり方が通じない時に、自分は人のせいにしがちでした。普通はこうなのに、なんでこうできないのか。こうしないのか。でも、押し付けないといけない普通は、もはや普通ではないのです。自分にも上司がかつていたように、関わる人にもみな上司がいるのです。そして不幸なことに、その上司は全て違う人間なのです。そこで自分だけの普通を押し通そうとすると、軋轢が生まれるので、常識とか普通とか考えずに、自分のやり方と人のやり方を照らし合わせて何が優れてて何がすぐれてないのかを挙げてぶつけて見るのが良いのではないかと思うようになりました。

地図を示すことで共通の理解が得られる

自分の常識はみんなの共通認識であるという考えから、作業を文書に落とすという作業が苦痛で仕方ありませんでした。最近はさっき書いた理由から考えが変わってきて、みんなが同じ方向を向けるなら文書の作成もありだと思うようになりました。地図を見ながら目的地に向かうのが楽ですよね。システム開発も目的地を書いてあげた方が親切なんじゃないでしょうか。ただ、ゴールを示すのに有効だと思うので、ゴールの示し方にこだわり過ぎるのは今でもよくないとは思ってます。

色々思うところはあるのですが、頑張れる源泉が尽きるか、会社に見捨てられるまで、ぼちぼち頑張ってみようと思います。

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