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記憶の整理

久々に文章を書くということをやってみようと思う。伝える作業を観察したいと思ったからそうしたいと考えた。情緒的な文章は基本的にゴミ箱にぽいしてきましたが、情緒的なのも自分だと思う。「文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。」とデレク・ハートフィールドという架空の人物がいうように、自分もとりもなおさず自分と自分をとりまく事物とのなんちゃらを確認してみようと考えたというわけである。

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認識あってないことをいくらやっても無駄

欲しいものがこれだとは言えない客が発する両手より少ない抽象的な言葉には、ものすごい情報量がある。抽象的な言葉を紐解いて、まとめることなく書ききれば、一冊の本になるほどの情報量。作図や言葉を選びに選んで、その情報量を圧縮する。そうして、欲しいものはこれなんですよねと、伝えるだけならまだいいが、理解させて始めて認識が合う。認識合わせゲームは自分にとって、世界一のクソゲーだ。

戦わなきゃ何も得られないし、誰も救えない

相手の心情を配慮して自分が折れたり、理解に窮する自分を認めたくなくて質問を躊躇したりすることは、心が相手に負けている。こんな時は判断基準を、「自分が後悔しない為にはどうすれば良いのか」にする。相手の道理に反することになるので、大体の結果バツが悪くはなるが、後悔はしない。だから振り返らない。ただ、得られるものは多い。負ければ相手がこうなるので、勝った方がお得だ。気分悪いけど。

伝えるは丁寧に

人は何かを他人に伝える時、過度に期待をしすぎている。無意識のうちに。こんなの言わなくてもわかるでしょう。手順さえ間違えなければ楽な作業だ。俺なら3日でできる。というように、相手に前提を作らず、自分を前提に話をしがちだ。自分自身例外ではない。ただ、自分が期待するほど、人は理解してくれないということは、ようやく理解ができてきた。それを持ってどうするのかと言えば、何を誰に何のために伝えるのかを手抜きせず、相手にとって、わかりやすい言葉で話すのが大切だと思う。そうすることで、相手も自分にわかりやすく伝えてくれる。

一生懸命やってもできない人はできない

気持ちの量は、人によってあるんだと思う。自分の場合は、気持ちの量が多い。ただ、気持ちを入れる容器が小さかったので、よく溢れていた。容器が人並みに大きくなってからは、悔しい思いをすることが、格段に減った。だから、困難に直面しても、気持ちがあれば乗り切れるんじゃないかと期待してしまう。人並みにでかくなったとはいえ、人の気持ちを思いやるには、また気持ちが要る。今の容器じゃ足りないので、溢れた気持ちが暴走する。暴走した気持ちは、相手の容器を破壊し、相手の気持ちの源泉に蓋をする。お互いが誤解しあって、とても気分が悪くなる。

おわり

上司と部下がいた頃に悩んでいたことについて、自分なりの回答を模索していた時代の文章になります。このころは大変だけど、会社と目標を同じくして必死にもがいていました。この後、立場が上がり、見える世界が変わってくると、自分の心持も変わってくるのですが、改めて読んでみて、その頃の記憶って本当に大事なものだなと思いました。

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